こんにちは、ゆうきです。
今、日本中がWBCで盛り上がってますね。
台湾に13-0のコールド圧勝。韓国に8-6の逆転勝利。
そして今日、オーストラリアに4-3。
しかも天皇陛下ご一家が観戦する「天覧試合」という、歴史的な一戦でした。
東京ドームが連日、信じられないくらい沸き返っています。
仕事中もスマホで速報チェックしちゃってる人、絶対いますよね。僕もそうです笑
ただ今日は、WBCを楽しむ話じゃなくて。
このWBC、実は誕生の裏にめちゃくちゃ面白い歴史があるんです。
で、その歴史を知ったとき、「これってエンジニアのキャリアとまったく同じ話だ」と思って。
今月収60〜80万円のエンジニアは特に最後まで読んでみてください。
単価が上がらない根本的な原因を理解できますよ。
2005年5月。日本プロ野球に、突然の通告が届いた。
送り主はアメリカのプロ野球(MLB)。
内容はこうだった。
「来年3月に、野球の世界大会をやります」
…え?
「来年って、あと10ヶ月じゃないですか」
「3月って日本のシーズン直前ですよ」
「なんで急に?」
サッカーで例えると、FIFAが「来年ワールドカップやるから。出たければ連絡してきて」って1年前に一方的に言い放つようなもんです。
当然、日本は怒った。
でも怒りはそれだけじゃなかった。
問題は「儲けの分け前」だった。
大会で稼いだお金のうち、MLBとMLB選手会を合わせて35%持っていく。
日本はたったの7%。しかも「日本代表グッズ」のライセンス料まで大会側に流れる仕組みだった。
つまり。
日本中の野球ファンが侍ジャパンのユニフォームを買っても、その儲けのほとんどがアメリカへ消えていく。
「お前らが盛り上げろ。でも儲けはこっちがもらう」
そういう構造だった。
怒りますよね、これは。
日本プロ野球の選手たちが集まって、会議を開いた
みんなの代表として仕切ったのは、当時の選手会長・古田敦也さん。
プロ野球ファンなら知ってるあの人です。
ベテランの選手たちがズラリと並んで、散々議論した末に出た答えは。
「参加しない」
全会一致に近い決議だった。
当時、日本が誇るスター選手のイチローや松井秀喜はアメリカのメジャーリーグでプレーしていた。
彼らにも「出てほしい」と声がかかったけど、イチローはこう言った。
「本当に盛り上げたいなら、シーズンを中断してやるべきだ」
松井秀喜も「出るかも、出ないかも」とはっきりしなかった。
みんな、納得していなかった。
ケガのリスクを負って世界大会に出て、それで儲けはほぼアメリカに持っていかれる。
「なんのために戦うんだ」って話ですよね。
参加しない理由は、ちゃんとあった。
それでも、話は終わらなかった。
MLBが今度はこう言ってきた。
「もし日本が出なくてWBCが失敗したら、損害賠償を求める」
さらにこう続けた。
「不参加は、日本の国際的な孤立を招くだろう」
…脅しですよね、これ。
ただ古田敦也は、その言葉をただの脅しとして受け流さなかった。
なんだかんだ考えた末に、こう思った。
「まずは始めないと」
完璧な条件じゃない。不満もある。でもやってみなければわからない。
2005年9月16日。古田が「参加する」と意向を伝えた。
ただ、そこからも大混乱が続いた。
「よし、出るぞ」となってから、態度を保留していた松井秀喜が12月27日に正式にこう言った。
「やっぱり辞退します」
理由は「WBCの準備と、シーズンの開幕準備を同時にこなすのは難しい」。
監督の王貞治さんが直接会いに行って、2時間食事をしながら説得した。
それでも、松井の意志は固かった。
続いてアメリカでプレーしていた井口資仁も辞退。
「え、また?」という感じで主力選手がどんどんいなくなっていった。
不完全な、不安だらけのチームだった。
それでも日本は、出た。
第1回WBCが開幕した。
結果は。
日本優勝。
キューバを10-6で倒して、初代世界王者になった。
MVP(大会最優秀選手)は松坂大輔。
この大会で世界中に名前を知られ、翌年アメリカのボストン・レッドソックスへ移籍した。
日本人投手として世界のトップへ。
2009年の第2回大会では、延長10回にイチローが決勝打を放って日本が連覇。
2023年の第5回大会では、大谷翔平が試合前にチームにこう言った。
「今日だけは、憧れるのをやめましょう」。
そしてアメリカを倒して3度目の優勝。
そして今2026年、台湾に13-0、韓国に8-6、オーストラリアに4-3。
3連勝スタート。
20年間、ずっと続いてきた熱狂がある。
あの「まずは始めないと」の一言が、今夜の東京ドームの光景につながっている。
ここで考えてほしいことがある。
もし2005年、古田敦也が「不参加」のまま突き進んでいたら何が起きたか。
「不参加」を選んだ世界と、「参加」を選んだ世界。
この2つ、残酷なくらい違う未来になった。
「不参加」を選んでいたら、こうなっていた。
条件が不平等なまま、7%の収益もゼロになる。
ケガのリスクはない。一見、損しない選択に見える。
でも。
松坂大輔は「世界最高の投手の一人」と呼ばれることなく、
ボストンへの扉は開かなかった。
イチローは「あの一打」を放つ舞台を持てなかった。
日本野球が世界一だと証明する瞬間は、永遠に来なかった。
大谷翔平が「今日だけは、憧れるのをやめましょう」と世界に向かって言う場所も、なかった。
天皇陛下ご一家が東京ドームで侍ジャパンを観戦するあの光景も、なかった。
誰も知らない。
誰も語らない。
ただ「日本は参加しなかった」という事実だけが残っただろう。
「参加」を選んだから、こうなった。
不完全なチームだった。主力が次々と辞退した。
不安だらけの船出だった。
それでも日本はキューバを10-6で倒して世界王者になった。
松坂は世界中に名前を知られ、ボストンへ。
イチローの一打は伝説になった。
大谷翔平は世界最高の選手だと証明した。
そして今、天皇陛下ご一家に見守られながら、3連勝した侍ジャパンがいる。
たった一つの決断が、これだけ違う世界を生んだ。
「参加する」か「参加しない」か。それだけで。
ただ、ひとつだけ正直に言わせてほしい。
日本の失敗は、「動くのが遅かった」ことだ。
怒りは正しかった。条件が不平等だったのは本当にそうだった。
でも「正しく怒りながら、動けなかった時間」が一番もったいなかった。
もっと早く動いていたら、松井秀喜も第1回大会に出ていたかもしれない。
もっと完璧なチームで世界に挑めていたかもしれない。
正しい判断と、早い行動は、別の話です。
これ、エンジニアのキャリアとまったく同じなんです。
「今の技術でまだいける」
「得意な言語があるし、そこでやっていく」
「今の単価で十分食えてる」
この言葉、間違ってないんです。今この瞬間は。
でも、2005年の日本プロ野球と同じで、「目の前の条件」に意識が向きすぎると、「もし変化したらどうなるか」という大きな絵が見えなくなる。
今、AIが「言われた通りに実装する仕事」を人間より速く安くやり始めています。
月60〜80万円の「振られたタスクをこなすだけ」の仕事は、真っ先に消えていく仕事です。
それを知りながら動けないのは、2005年の日本と同じです。
2パターンの未来を想像してみてください。
変化しなかったエンジニアの3年後。
「今の技術でまだいける」と思っていた。
最初の1年は何も変わらなかった。
「やっぱり大丈夫だった」と思った。
でも2年目、同じスキルの若手が安い単価で出てき始めた。
「まあ、まだいける」と思った。
3年目、AIが同じ仕事をやり始めた。
月60万円の案件が「50万でいい人いますか」になった。50万でも来なくなった。
焦って新しいことを学ぼうとした。
でも体力も気力も貯金も削られていた。続かなかった。
「あの時動いていれば」と思いながら、また同じSIerの案件に申し込んだ。
変化したエンジニアの3年後。
動き出した最初の2週間は地獄だった。
全然うまくいかない。
「向いてないのかも」と夜中に不安になった。
3週間目、少しだけ動くものが作れた。
「あ、できるかも」と思った。
1ヶ月で形になってきた。
3ヶ月で自信がついてきた。
半年で「案件取るの楽になってきたな」と気づいた。
単価が上がった。
選べる案件が増えた。
1年後、月収100万円を超えていた。
毎朝、楽しみに仕事を始めている。
3年前の自分が信じられないくらい、景色が変わった。
スタートラインは同じだった。
スキルも、経験も、年齢も、似たようなもんだった。
違うのは「3年前に動いたかどうか」だけだ。
最後に
2005年の日本プロ野球は、怒りは正しかった。
でも動くのが遅かった。
あなたは今、どっちですか。
「変わるべきだとわかっている」と「今すぐ動く」の間に、どれだけの距離がありますか。
その距離が、3年後の景色を決めます。
僕が教えてきたエンジニアは全員、最初は「怖い」「無理かも」と言っていました。
でも動いた人は半年〜1年で月収100万円を超えています。
「いつかやろう」と言っていた人は、1年後も「いつかやろう」と言っていました。
どちらになるかは、今日決まります。
今夜も東京ドームで侍ジャパンが3連勝した。
あの熱狂は、2005年9月16日に古田敦也が「まずは始めないと」と動いたから存在する。
あなたの「まずは始めないと」は、いつですか。
正しいやり方がわかれば、動ける。
そう思う方は、僕のメルマガが参考になると思います。
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