フリーランスエンジニアの雄貴です!
Twitterも3000フォロワー達成して、いつも見てくれる方が多くなって嬉しいしありがたいなぁと思う今日この頃です😁
私が月収100万を稼げるエンジニアになるために必要なことをドンドン発信しており、それが皆様に役立てていただければこの上ない幸せです。
まぁそういうのも、元々私はそんなすごい人間ではなく、むしろいじめられるくらいダメなサラリーマンだったので、
同じような境遇の方でも全然逆転できるし、頑張れば理想の生活を送れるんだよって伝えたいからなんですよね。
ただいつもTwitterで偉そうに発信しているので、私がどれだけダメなやつだったか皆様には分からないと思うので
今回は昔話としてその辺りをお話ししようと思います。
新卒で入った職場で早々にいじめられた話
私は元々IT業界にいたわけではなくて、元は製造業の会社に勤めてました。
実は大学院の出で、安定を求めて大企業に行った口です。
まぁ大学院といっても研究室にはあまり行っておらず、親の金で一人暮らしをして、研究サボってゲームばかりやってた馬鹿野郎でしたw
あの頃はPS3のゲーム大体やりましたね。
ニーアレプリカントとか、ドラッグオンドラグーン3とか、鬱ゲーが好きでした。
まぁ研究をサボったといえど、私以上にサボってた奴がいたので、そいつばかり標的になっていて私はのらりくらりちょうどいい感じにしてました。修論とかもコピペみたいなので出したみたいで、金払った分全然みになってないなぁと。
ただ有名大学院卒業が欲しかっただけですねw
と大学院の話はいいとして、新卒の会社の話に戻りましょう。
とりあえずやりたい仕事なんかなくて、大企業に行ければなんでもいいやという感じで、人気なさそうでも給料がいいところを選びました。
大企業に行けたら給料がいいから合コンでモテるとか、程度が低いことを考えてました。
まぁ実際合コンに行ってモテることなんかなかったわけですがw. 女性のこと舐めすぎてましたね。すみません。。
勤務地は田舎で何もないとことでした。
製造業って理系出身者は研究所や工場配属がほとんどで都会から離れるんですよね。
で、私は工場に配属になって、到着した日に職場の歓迎会がありました。
職場の人間はヤンキーがそのまま大人になったような柄の悪い人が多かったです。
結構オラオラ系というか、ヤンキーも良い人は結構いるのですが、私とは相性が悪い感じがしましたね。
入って早々自己紹介の時に上司から
「大西ライオンの真似やれや」という無茶振りを喰らいましたw (苗字が大西なので)
でやったわけですね
「し〜〜んぱ〜〜〜〜いないさぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」
まぁ場は氷漬けになり、誰もフォローしてもらえなかったです。。
あの頃から私は初めから舐められたり因縁つけられたり嫌われやすい人間なのかな?と落ち込んだりもしました。
全員が全員そうではなかったので、その職場で権力のある人と人と相性が良くなかっただけかもしれません。
こういう職場は誰が悪いとかではないので、早々に人事に相談して変えてもらうべきだと今では思うのですが
当時の私は根性論が美徳と考えてることがたまにあったので、そのまま耐えて認められるようにしようとしていました。
大学院の時に研究サボった奴が何いってんだと思いますねw
初めて与えられた仕事
現場で研修などが秋くらいまであってその後に業務を実施しました。
あ、ちなみに私の仕事は「生産技術」と言われる仕事で、工場で生産するラインの改善が主な業務です。
例えば、100ある原料を使って100個の製品を作りたいけど、作る過程で20個は不良品になる。だからその20個の不良品をできるだけ少なくする。とかですね。
工場勤務の場合はライン作業をイメージする方が多いかもですが、ライン作業は正社員として雇ってはいますが、大学卒以上は知的労働といいますか、改善業務を任されるように決まっていました。
また、技術系だと研究開発が主のように感じられる方も多いかもですが、それはごく一部で、大半の製造業の技術者は生産技術のように、現場の改善をやっているところがほとんどだと思います。
まぁそんな感じで私も工場の生産性改善の業務を任せられました。
振られたのは、「製品に凹みが発生して不良品だと認識されるので、その凹みを出ないように製造工程を改善する」といったものでした。
製造工程は複数あって、どの段階で発生しているのか色々テストをして確認していきました。
ここでやるテストですが、工場で製品を作っているラインにテストを入れることになるので、製造部署の生産性を一時的に落としてやるわけで、コストかかるんですよね。
なので一発一発が本当に意味のあるものにしていく必要があって、気軽に打てるものではない。
これ新人がやるには結構ハードル高い仕事だよな。。と今でも思いますが、他の仕事、例えば営業なんかも実践ありきでしかないので、仕事とは本来こういうものだと実感しています。
ITエンジニアのようにローカル環境で気軽にテスト何回やっても大丈夫みたいなのは恵まれてる方ですね。。
とまぁそういう感じでテスト失敗したら現場の方に怒られながらやっていきました。
ただまだ現場の人の方が優しかった。
私にとって同じ部署の上司や先輩の方が冷たかったです。
ダメなやつ烙印された時
テスト失敗するたびに30分くらい説教食らってました。
まぁ説教ならどこでもありそうなのですが、その説教が人格面や精神面の内容が多かったです。
やり方のフォローなどあまりなかったのですが、それは職場が新人に構ってられるほど仕事に余裕がないくらい忙しく、かつ上からの圧力も多い部署だったので、みんなピリピリするし、仕方ないのかなぁと今でも思います。
そんな感じで半ば放置プレイな状態でやっていました。
ただ今思うと私も様々なアプローチをして助けを求めればよかったなと反省しています。
相手が私に構ってくれないからと私もムキになって自分だけでやり遂げてやろうとしてしまいました。
結果、半年、1年経っても不具合は発生し続け、現場の方に多大な迷惑をかけてしましました。。
現場の方はテストのために夜勤で無理にやってもらったり、シフトを変更してもらったりなど頑張っていただいたのに、成果に繋げられず悔しかったですね。。
それでも私はあまり周りに助けを求めようとしませんでした。助けを求めたところで、もっと頑張れよ、甘えんなと言われるだけだと思い、そのまま自分だけでやってしまっていました。。
そうやってずっと最初の仕事を1年以上かけても達成していないと、職場でダメなやつの烙印が押されました。
「大西だからできなくても仕方ないよね。」
「そんなこともできずによく給料もらってんな」
「親に甘やかされて育ったんだろ」
などなど陰口もあれば、説教の時に言われたい放題になっていました。
まぁこれは相手だけでなく私にも問題があるわけですね。
自分にできる限りのことを全部やらずに諦めたままにしてしまった。
人間との相性が悪いのであれば、人事に相談して部署移動させてもらえるように動くべきだった。
働いて給料もらってる以上、会社に利益を上げるために何をするべきか?をよく考えて動くべきだったなと今でも後悔しています。
3年続けて辞めた話
その不具合も結局品質に影響がないというのが判明して、やらなくてよくなりました。
これなら最初に、それって不具合なんですか?ってところをよく確認するように働きかけるべきだったんですよね。
ここでも仕事の流れとしてどうあるべきか?を少し学べたような気がします。
まぁ不具合は問題なくなったとしても、私も職場での評判はかなり悪く、完全にいじめられキャラになっていたわけですがw
ただその後も「せっかく安定した会社に入ったのに辞めたら貧乏になるだけだ!」など視野の狭い考えでずるずるやってたわけですが
それも3年目になると終わりを告げました。
3年目になると大学卒の社員は幹部候補生としてそれ用の研修に行かされます。
そこでこの会社の幹部になることなど、色々学ぶわけですが
私には何も響かなかった。
それだけならそのままその会社にいたわけですが、決定的な経験がありました。
それは同期で飲みに行った時の話
同期たちは「この会社で幹部になれば、さらに面白い仕事ができる!」
「いい商品を開発してもっと世の中を良くしていきたい!」
など夢のある話をしていたのですが
私は全然その話についていけなかった。
というよりも
共感できなかった
おそらく製造業の仕事自体に興味がなかったのでしょう。
社会的革新や成長もそこまで大きくないわけですし、私のやってる生産技術はかなり大事な仕事ではあるのですが、社会に大きな変化をもたらすようなものでもない。
いや、そこが問題ではなかったのだと思います。
自分が仕事で成果を出せなかったこと、それによって職場でいじめられたことなどが相まって
この会社のことが心底嫌いになっていました。
これはこの会社が悪いのではなく、自分自身が努力することへの怠慢と、周りや仕事内容への相性が悪かったことが原因だと思います。
ここで私は仕事も相性があるのだなと学びました。
今思うと、相性ではなく、その仕事を通してやりたいことがあるのか?が大事だなと思ってます。
他で話しますが、私は今ITエンジニアとして楽しく仕事をしていますが、それもITを通して世の中を良くしていきたい。
そういう社会貢献できる人材になって、自分も周りも豊かな生活を送れるようにしたいという夢があるから、どんなに辛くても頑張れるのだと思うのです。
周り回って自分の利益が上がることもモチベーションになっているので、金のためにITエンジニアやってる人も、金という目的があるから一生懸命頑張れる。
ただ、製造業の時の自分は何が面白いのかわからない状態だった。
今思うとそれだけだったなと改めて思います。
最後に
いかがでしたでしょうか?
書いてて、「あ、これ自分の思い出を気ままに書いてるだけだな」と思ってしまいましたが、
それでも私自身のリアルを伝えたかったのでそのまま公開しました。
共感できる部分できない部分あるかもですが、私も稼げるようになったと言っても最初から価値を出せる人間ではなくて
むしろ価値を出せずに評価も低い人間だったというのが伝われば幸いです。
ここから私はITに出会い、月100万稼げるようになるわけですが、それはまた別の記事で書ければ書こうかなと思います。
今回は役に立つかわかりませんが、こんな人間もいたんだと参考程度になれれば幸いです😁
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